いじめ問題・悪魔の囁き・世論に喧嘩を売ります。
いじめを根絶する為に

1.初めに
 いじめ問題は筆者が昔から非常に気に掛けている問題です。
 いじめとは大抵の場合、非常に理不尽です。
 過去、いじめられる側にも問題が有ると言う事が言われていましたが、いじめによる自殺など、マスコミで大きく取り上げられる様になってからは、世論は「いじめる方が一方的に悪い」と変わり始めました。
 結果的には良かったと思っていますが、世論が自ら考えて導いた結論では無く、マスコミによって動かされた結果だと言う所に大きな問題が有ります。

 仮に被害者に1の非が有ったとしましょう。
 しかし、加害者の中では主観的に1の非が10の非に昇華され、徒党を組んで10人でいじめをすれば、その時点で100のダメージを与えに行く行為です。
 しかも、いじめとは一時的な喧嘩と違い、子供のゆっくり流れる時間の中で永遠とも思える時間の間、継続的に、陰湿に肉体的、そしてなによりも心理的に大きく拷問に掛けます。
 これは、殺人よりも遥かに残酷な行為です。
 そう、拷問を受ける人間は死ぬよりも苦しい思いをする故に「いっそもう殺してくれ、楽にしてくれ」と言います。
そう言った心境に陥ると、子供は自殺するのでは無いかと考えられます。

 ではなぜその様ないじめがいつまで経っても無くならないのでしょうか?
 少なくとも世論は今、いじめが悪い事だと認識出来る様に(やっと)なってきました。
 なのに、未だにいじめは根絶できません。
 その「なぜ?」に深くメスを入れて行きたいと思います。

 尚、人間の有り方に深く突っ込んで解説致しますので、個々の人間性や世論に大きな批判を含めなければなりません。 以降は、「いじめを本気で根絶したい」「いじめの心理を本気で追及したい」と考えている方のみお読みになる事をお勧め致します。
 また、この場では一旦、常識・モラルなどは全て捨ててお読みください。
 この場では、「人を傷つける行為」「人の命を奪う行為」だけを悪と定義しています。

2.人類と民族
 今まで私が何回も言って来た言葉に、日本人はマスコミ・メディア・権威に踊らされやすいと言う事が有ります。
 つまり、プロパガンダに簡単に乗ってしまう民族性です。
 これは非常に危険な事です。 正義とはいつもその時代のプロパガンダによって変わります。
 戦時中は、アメリカ人などの外国人を殺すことが絶大な正義でした。人道性を語り、殺人行為に異を唱えれば非国民と呼ばれ、悪人のレッテルを貼られ批判の嵐を受けました。
 更に過去では、日本では有りませんが魔女裁判と言う暗黒の歴史も有ります。知識も無く非科学的に「魔女」と言う生贄を人為的に作り出し、形式的な裁判を通して死刑にしていた時代です。
 皆さんはきっと、現代の日本では考えられない事と思う事でしょう。 当然です。 モラル・道徳性・科学が高度に成長した現代ではナンセンスに感じられるからです。
 しかし、敢えて筆者は断言します。 今、あなた方は戦時中や魔女裁判の時代の人間と全く同じでなんら変わっていません。
 過去の時代の人間より高度な道徳文明を持っているなど、全くの幻想なのです。
 端的に証拠を言えば、未だ人類は戦争を放棄出来ていません。
 特に戦争好きだと思えるのがアメリカ人ですが、我々日本人はそんなアメリカ人より高度な文明を持っているとも思えません。

 プロパガンダに踊らされる民族性を払拭出来ない限り、いつまで経っても我々日本人は魔女裁判の時代の人類と同じ残忍性を持っているのです。

 人間は、心理的に「恨み」「悲しみ」「辱み」「競争心」「優越感」「自己保身」「残忍性」「差別」など、様々な負の要素を持っています。 本来、社会を構成する為にはその様な負の要素を「理性」でカバーしなければなりません。
 しかし、「理性」とは、人間個々が真剣に考え、議論を繰り返し、練り上げられた共通観念、つまりモラルによって形成されねばなりません。
 が、現在はその理性が、教育とメディアによってほぼ100%形成されているのです。我々はそれが本当に正しいのか考える事を放棄し、人に与えられた情報だけで理性、つまり「正義」を語るのです。
 その姿勢は、魔女裁判・戦時中となんら変わり有りませんし、当時の人間が正義だと信じていた物と、我々が正義だと信じている物は同レベルです。

 筆者は最近、Yahooの知恵袋で少々遊んでいるのですが、そのユーザのモラルの低さに戦慄を覚えました。
 とても数多くの人が、特定の人物や特定の団体、そして喫煙者・嫌煙者、はては男性・女性、つまり、人間をグループ分けした上で、それぞれを悪者にする批判活動を行っているのです。
 中でも印象的なのは、山口県親子殺害事件の話題が比較的多く出て、その度に大きな反響が有り、「犯人は早く死ね!」「死刑大賛成」と言う意見が9割以上を占める事実です。
 まさに魔女裁判の本質を見た気がしました。
 さてここで、これを読んでいる方も「なに言ってるの?当たり前じゃない」と思ってる事でしょう。 しかしこれから色々紐解いて行きますが、それが「いじめが根絶出来ない」理由なんです。

3.悪魔の囁き
 法律や国の制度、憲法などは、完全に正しいとは思っていません。むしろ欠陥だらけです。
 しかし、これだけは言えます。先人達が長い議論を経て確立したモラルの形なのです。
 つまり、ある面法律は信頼できる面も有り、有る面信頼できない面も有ると言う前提と、  少なくとも民衆が持つ感情よりは客観的なモラルを持つと言う前提をここに置きます。

 かたや、人間が作ったモラルはゆがんでいる面も有ります。
 例えば貞操観念。 これなどは考えてみれば、なぜ存在意義が有るのか理解出来ません。
 人はなぜ、性器を露出してはいけないのでしょうか。
 なぜ、他の動物の様に好き勝手に性交してはいけないのでしょうか。
 人は無条件に、卑猥な物に嫌悪感を抱き、レイプを凶弾し、猥褻物を見せたりレイプした者は犯罪者として吊るし上げられ、被害を受けた人は場合によっては大きく傷つきPTSDになったりします。
 そして、この貞操観念に基づいて、法律も整備されています。
 きっと、こんな話題を出しているだけでも嫌悪感が走る方が多いのでは無いでしょうか?
 しかしなぜ?そもそもそれがいけない事なのか・・・明確に答えられるでしょうか?
きっと「悪い事だから」とか「モラルに反するから」等が真っ先に頭に浮かびませんか?
次に、「相手を傷つける行為だから」とか「相手に不快感を与える行為だから」と頭に出てくるかも知れません。しかし、それは貞操観念ありきだからで有って、なぜ貞操観念が必要なのかの理由にはなりません。
 恐らく現代では、その理由は見出せないと考えています。つまり真理で考えれば「不必要」なモラルです。
 そもそも性欲とは食欲と同じ次元の生物学的本能です。食べる事が当たり前なら、性欲を満たす事も当たり前です。
 筆者はこの疑問に対し、以下の様な仮説を持っていました。
 ・人は性欲と言う本能を持っているが、異性の裸を見慣れてしまうと性欲が麻痺する危険性が有る。
 ・それは人口問題、つまり国家の発展に由々しき問題を生じさせる。
 ・よって、高度な政治的に作り出された思想が貞操観念

 この疑問を知恵袋で尋ねて見た所、筆者が見落としていた説をご教授頂きました。
 それは、過去、医学が発展していない頃、不節操に性交を行うと性病が蔓延し、部族の存亡に関わる事態に発展する事を経験的に会得するが、しかし、それが病気によるものだと言う認識は持てず、祟り・呪い・などの部類で認識され、性交をむやみやたらに行う行為は呪わしい事となって行き、貞操観念が生まれ現代に引き継がれていると言う物です。
 なるほど、これは私の立てた仮説よりずっと説得力が有り有力な説だと思いました。

 いずれにせよ、医療・科学の発展した現代において、むやみやたりに性交を行うリスクは生活力を無視した妊娠とエイズしか無く、その問題さえ抑えておけば貞操観念は無くても一向に差し支えなさそうです。

 しかし、この説が正しいかどうかは別として、少なくとも人間は生まれてから無条件に今の貞操観念を刷り込まれ、絶対的な正しい物と認識させられてしまいます。

 しかし、考えてみて下さい。もしも貞操観念が無い・または今と全然違う物だった場合で、仮にレイプされた女性がいたとしても、レイプした方は全く罪悪感は無いし、レイプされた方も全く傷つくことさえ無いでしょう。
 なぜ傷つくのかと言えば、貞操観念を持ってるからなのです。
 処女の場合やSEXに慣れていない場合を除き、肉体的にはなんらダメージを受けないのですから。
 一重に心理的なダメージで有り、そのダメージの根源は貞操観念なのです。
 仮に、貞操観念が欠如している女性がレイプされ、その場は全く心理的に傷ついていなかったとしても、周りの人間が、「あなたは酷いことをされたのよ」、「傷物にされたのよ」と刷り込む事によってPTSDは生まれるのです。
 この貞操観念には性犯罪者と言う「魔女」を作り出す事と、被害者を作り出す事、そして被害者をPTSDにする事と言う罪が有ります。
 もちろん、貞操観念が既に人類の中で大きくなって払拭出来ない前提を置けば、考えるまでも無く性犯罪者が悪です。
 貞操観念が有る限り、レイプをすれば相手が傷つく事は用意に想像出来ますし、卑猥な物を見せて不愉快に感じる人がいる事も想像出来る上で行う行動だからです。
 しかし、貞操観念とそれによる社会にも根本的な悪が有ると認識する所から始めないといじめは無くなりません。

 余談ですが、筆者は貞操観念は人間の本能を無視し過ぎている非人道的な思想だとも思っています。
 それは、人前で食事をしたら人に不快感を与え、人に食事をさせたらPTSDにさせて犯罪者となる・・と本質的に同じだと思っているからです。
 人は食べ物でも異性でも好みが有ります。それを尊重する事は良い事だと思っていますし、幸福感を味わう為には双方の同意の上行うべきだとも思っていますが・・・だからと言ってそれが現代の貞操観念が有る理由にはならないと思っています。
(但し、この論説には人間の嫉妬心は考慮されていません。例えば恋人が他の同性から裸を見られたり、肉体関係を持ったりした場合、ここには貞操観念と違う否定観念が発生し、その気持ちが逆に貞操観念を作る要因になっている側面も有ると考えています。ですので、貞操観念の必然性は単純には語れませんが、ここではあくまで「例」として捉えて下さい。)

 さて、いずれにせよここで論じたいのは貞操観念の是非では有りません。モラルの真偽です。
 そして、モラルから派生して作り出された法律の是非です。

 では、また違う角度からモラルの真偽を追求します。
 現代の50代以上は戦争でのプロパガンダを経験したか、または影響を受けた世代です。ですので資質としては余り良いとは言えません。
 では、40代以下の人間はどうか。
 筆者に言わせれば、最悪です。
 なぜなら、ウルトラマン世代だからです。
 結論から言ってしまえば、結局の所全ての世代は善悪二元論しか持っていないのです。

 先ほどから何回も言っている通り、人間は真の正義を考えることを放棄しています。人に教えられた正義が全てなのです。
 そして、戦時中も現代も、正義の相手は悪なのです。
 それはまるで、ウルトラマンから始まったヒーロー特撮ドラマの様に、「人間に危害を加える者は悪だ!だから退治するのだ!」と言う非常に単純な理論で子供の心に正義が刷り込まれていきます。
 しかし、これは非常に危険な思想です。
 まず第一に、正義の対極は悪であると言う思想です。
 そして、第二に、悪に容赦はいらないと言う思想です。
 人間は、自分が悪人だと思っている人は極希です。殆どの人が、自分は正義だと信じています。
 その上で、自分が敵対する人間は、自分が正義である以上は悪となるからです。
 非常にシンプルですね。
 そして、ヒーローがそうだった様に、正義の名の元では悪を殺しても良いと言う感覚が拭えないのです。
 しかし、人間の命を脅かす者は悪だと言う認識もかろうじて有ります。
 折り合い点は、「自分が正義・相手は悪・でも人間だから殺しちゃいけない・でも制裁はしても良い」です。
 これが大人になると「自分が正義・相手が悪・でも法律は犯しちゃいけない・でも合法なら制裁は許される」に変化しますが、根本は子供と全く同じ、いや、大人の方が残酷ですね。
 最終的に「合法で殺せ!」に辿り着いてしまうので。
人間はその様な思考経路を意識しないで自然に行い行動に移します。既にそのロジックが深層心理に深く刷り込まれてしまっているせいです。ですので、本人にその様な自覚は殆ど有りません。もっと簡単に言ってしまえば、「ムカ付く奴には仕返ししてやれ」と言う思考を「当たり前」に行うのです。しかも本人はそれが「悪」だとは絶対に認識しません。認識するとしても「私は悪くない」=「私は正しい」=「正義」です。
 いずれにせよ、大人がその様な正義感を持っている以上、子供の正義感は変わりません。実際は他にも簡単に人が死ぬドラマが多々有るのも要因ですし一概には言えない事では有りますが、特にヒーロー物を見て育った世代の子供はその傾向が顕著で、「合法なら人を殺せる」の意味を理解し切れない子供が大人の真似をして、「あ、別に人が人を殺してもいいんだ?」と思う子供も出現する面も少なからず有ると考えます。

 しかし、ここまで言えばお分かりかと思いますが、「相手にも正義は有るのだ」「こちらにもきっと悪が有る」と言う理解を持てない限り、大人も子供もいじめ根性を払拭する事は不可能なのです。それはおざなりの理解では無く、心から理解しようとする姿勢と言い換えても良いでしょう。
 いじめ根性は、子供の問題では無く、人類の本質に根ざした問題なのです。

 人間は、冒頭で述べた様々な負の感情が有りますが、人間は自己防衛や向上心から心理的に自己を正当化させてしまうと言う機能が有りますので、「慎重に考えなければならない」事に気付かないと、恨み、妬み、残虐性を正義だと勘違いして、相手を攻撃してしまうのです。
 そして、現代の正義思想では、相手に容赦しなくて良いのです。
 まさにここがいじめの本質と言えるでしょう。本来は自己の正義と相手の正義、そして自己の非と相手の非を客観的に検証する姿勢が必要なのです。

 そう、この間違った正義感もメディアによってもたらされた物です。
 そして、山口県親子殺害事件も、一方的に被害者遺族の感情をメディアで流し、国民に、いかに加害者が悪なのかと言う心象を刷り込み、更に、手紙の公開なども被害者側で有る立場の検察から公開され、まるでヒーロー物の怪獣が如く「殺せ!」ムードを煽り、一方、加害者側の言い分は一切メディアに流れて来ません。
 これこそが、魔女裁判なのです。
 この事件の真相は分かりません。もしかすると、犯人は本当に生まれてこのかた1回も人間性を持たない人格を持つ人物なのかも知れません。そして、それは本当に死刑に値する物なのかも知れません。
 しかし、加害者の弁護士はなりふり構わない戦法を取った事も有り、そこがまたクローズアップしてメディアに流される物だから、益々悪人と言うイメージが刷り込まれる一方で、誰も加害者の本音は聞いていません。
 ただ、メディアに刷り込まれた情報だけで極悪人だと信じ込んでいるだけです。
 手紙にしてもそうですね、日常生活の中でさえ、誰でも不利な立場に立った場合は思ってもいない事を言ってしまったり、強がってしまったり、見栄を張ってしまったり、カッコを付けてしまったりする事が多々有ります。しかし、本音は違ったり、冷静になって考えてみたらとんでも無い事を言ってしまったと後悔する事も度々有ります。
 しかし、その時に言ってしまった事を記録され、いつまでも責められてはたまりませんね?せめて、間違いを認め、謝罪の場を提供して貰ったり、自己弁護させて貰わないと、穴が有ったら入りたい状況に心理的に追い込まれてしまいます。
 かの加害者も同じ様な状況だった可能性も否定出来ませんし、民衆は自分でさえ行う「人間の行動」をすっかり失念し、メディアに流された手紙の内容だけが真実だと思い込まされます。
 しかし、それは単なる「手紙を書いた」と言う事実に過ぎず、真実を検証しようとは誰も全く思っていません。
 更に、司法と言うモラル的に信頼できる場で客観的判断がなされても、もう「殺せ」ムードな民衆は納得出来ず、「死刑!死刑!死刑!」と叫びます。
 まさに魔女裁判ですね。
 本来は、公正な目で客観的に加害者と被害者を見つめ、双方の正義を検証し、また、犯罪に至った要因を検証し、社会に落ち度が無いかを検証し、その上で個々の人間がそれぞれの価値観で判断しなければならないのです。そして、社会に少しでも落ち度が有るならば、同じ悲劇を繰り返さないように社会を改善する努力をすべきなのです。
 しかし、メディアに踊らされる民衆は、ほぼ全ての人が「殺せ!」だけです。

 つまり筆者が問いたいのは、加害者の真の罪では無く、加害者の真の罪を問う民衆の姿勢なのです。被害者遺族の感情だけに感化されて、感情だけで事件を見てはいけないのです。
同じく知恵袋でほぼ全員が「死刑にしろ!」「早く殺せ!」と凶弾している中で、唯一、筆者と同じ観点で意見を言う人を見かけました。その方が言う事を掻い摘んで述べると「遺族感情だけで判断してしまったら、最終的に犯罪の重さよりも遺族感情の大小で罪が決まると言う倫理の破綻を招く恐れが有る。だからメディアは遺族感情ばかりを放送して国民を煽るのは良くない。現在の司法は過去の人たちの試行錯誤によって確立された客観性の高い公平な裁判制度を確立しており、その上で死刑が判決されるなら仕方無いが、裁判を否定して「殺せ」一色は異様に感じる」と言う物でした。
 この考え方こそ、本当は民衆に求められる考え方だと強く思いました。

 これを書いている2007.06現在、Gyaoでトゥルー・ブルースと言う映画が配信されています。
(配信期間延長のお願いをしたのですが、残念ながら2007/06/30 昼にて配信は終了しました。)
 いじめを根絶したいと考えている方は、是非ご覧になって頂きたい映画です。
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0011051/

 この映画は、有る少女の犯罪が描かれた映画です。
 被害者の立場で言えば

・若いからと言って人を殺す事が許される物では無い。
・その動機は、激しく身勝手で相手の事など全く考えず、人間性のかけらも無い。
・加害者はなんと笑いながら殺した残虐な性格を持つ人物だ。
・婚約していた被害者の恋人や、残された子供の感情は推して計り知れない。
・そして、これは残酷性が増大してきた今の若者を代表する事件なのだ。
 これを許してしまっては、益々少年犯罪に歯止めが利かなくなる。

と言った感じで、極悪非道な少年(少女)犯罪であり、今の日本の民衆に言わせれば、そんな奴は生かしておいても税金の無駄で許せない。早々に殺せ!と言われるに値する人物です。そんな人物が主人公の映画です。
 見る観点が違うと、こんなにも変わってくるのかと言う事が分かる作品です。

 そしてそれは、もしかすると、山口県親子殺害事件の犯人にも言える「かも」知れない事なのです。
 この映画では、加害者(主人公)の真実が見えますが、山口県親子殺害事件の犯人の真実はメディアに一切流れていないのです。

4.真理はどこに
 話を戻しますが、民衆はメディアに刷り込まれただけの間違った自分よがりの正義感で物事を判断します。
 そして、その正義感は未熟な子供も真似しますし、リアルタイムに善悪二元論のアニメなどに影響を受けています。

 メディアはある面、雑誌や新聞が売れれば何でも有り、視聴率が稼げるなら何でも有りと言う面が多く、その報道内容が「事実」に則してさえいれば「真実」はどうだって良いのです。(メディア報道のプロパガンダの分かりやすい例はこちらを参照して下さい)
 また、なぜメディアがその様な方向性を持つのかと言えば、需要と供給の原理、つまり民衆が「悪者を作り出す」事が好きだったり、同情する事に人間性を感じたりする傾向、つまり民衆が真実を求めず、シンプルな善悪を求めるからとも言えます。
 確かにメディアのその様な姿勢は批判するに値するものですが、我々もまた批判されねばなりません。我々が望むからメディアが提供するのですから。
 そして民衆は作り出された「魔女」を叩く事により身勝手な正義感を満足させ、自分はとっても善人になった気がして気持ち良くなれます。言わば報道はある種の「麻薬」みたいな物なのかも知れません。

 いじめを根絶する為には、まずは大人が、社会が変わらなければ決して実現する物では無いのです。
 メディアの情報や権威の有る科学情報など、全て鵜呑みにしてはいけないのです。
 他人から得られた情報は必ず、疑い、参考にし、反面を十分に考察し、自分で最終判断を下し、人と議論してコンセンサスを得る・・
と言うプロセスを確立しない限り、今の魔女裁判と同じ民衆性は払拭出来ません。
 そして、子供の世界の魔女裁判が「いじめ」なのです。

 魔女裁判とは、民衆が客観的な検証姿勢を持たず、感情だけで善悪を判断する姿勢です。そして、発端は情報戦(プロパガンダ)による物です。つまり、発端はどちらにも非が有る些細な喧嘩なのかも知れません。しかし、情報戦に長けた子供が先手を打って、周囲の友達に、いかに相手が悪い奴なのか、いかに相手が嫌悪すべき奴なのかを言いふらし、感情的な判断しか出来ない様に仕向けます。そうすると、魔女裁判が始まるのです。これはマスコミによって感情的な悪者が作り出され、一斉に批判が湧き上がる現象と基本は同じです。子供の世界も大人の世界も同一原理で動いている真実を理解せねば、いじめは根絶出来ないのです。

 更に細かく言ってしまえば、子供もずる賢い頭脳は持っていますので、マスコミに習って「事実」をベースとした思想誘導を行う場合が多々有ります。つまり、真実はどうでも良いのです。例えば、自分の非は言わずに相手の非だけを述べながら思想誘導をしても「事実」を元にしたプロパガンダです。ですので、いじめられる側の子供は言い返せない状況に追い込まれます。
思想誘導によって教室内の世論が出来上がってしまうと、既にいじめられる側の子供が「相手だってこんな事した!」などと言っても既に手遅れなのです。もう、所詮悪者の言い訳でしか無いのですから。
また、問題を更に難しくするのは善悪二元論です。つまり、情報戦を仕掛けたいじめっ子は自分が正義だと思っていますので、自分の非は言わずに相手の非だけを言うつもりは無くても結果的にそうなってしまう滑り止めが有ります。
ここまでお膳立てが出来れば、後は容赦の無い世論による正義の「制裁」が始まります。大人が犯罪者=悪者を人間と思わず虫けらの様に感じる感性と同じ物を子供の世界でも持つ訳です。子供の世界での世論ではいじめられっ子は悪者で虫けらなのです。ここまで相手の人格を否定してしまった後は、娯楽として残酷な苛めを行う精神まで芽生えて来ます。正義な世論の元ではもうなんでも有りなのです。

 一度、人類は全てのモラル・法律を捨て去り、その上で現在のモラルや法律を検証せねば真の正義は見えて来ないはずです。

 子供のいじめ問題を解決するには、個々の大人が善悪二元論を捨て、相手の正義を検証する姿勢を持たないといけないのです。

 そして、今以上に強固な理性で、妬み・恨み・競争心・優越感を抑制し、より高度なモラルを形成しないといけないのです。

 現在、いじめ問題を研究する場面では、子供の心理分析や現場レベルでの問題解明と対策ばかりが論じられている様に感じます。しかしそれでは、その事件が解決する事が有ったとしても根本解決にはならず、いつの世もいじめは根絶される事が無い様に思えますし、事実、解決できない事件が多く有り自殺者が後を絶たないのも現実です。

5.人権と迷惑

 そして、同じくメディアによって現代では常識となった「迷惑」と言う言葉を捨る必要が有ると感じます。

 昭和の時代に比べ平成の世は自己愛文化が進んできていると言われています。つまり、他人を寛容する姿勢から個の人権を尊重する姿勢への変化です。これは確かに大きなお世話や度を越えた迷惑行為を牽制する事が出来る共通観念に成り得ますが、今は逆に、自分が望まない親切心を排除し、些細な迷惑も排除する姿勢へと極端化している様に思えます。これには、プライバシーの尊重・人権の尊重と言う考えをアメリカから輸入し、メディアが取り上げた事により出来た観念ですが、これは極端に言ってしまえば他人の干渉を極力少なくし、当たり障りの無い表面的な人間関係だけが正義と言う思想です。しかし、「家庭」に焦点を絞って考えた場合、逆に例えば有る家庭で子供や妻の人権を侵害する事件がメディアに流れると被害者側に同情が傾き、加害者側を叩く世論が大きく生まれます。これも有る面ご都合主義的な矛盾点と言えるでしょう。個の人権の尊重とは個の価値観も尊重されねばならず、個の最小構成である家庭もまた価値観や人権(家庭権?)を持つ事になります。その家庭の価値観を否定する行為を共通観念と言う名の元に大勢で攻撃する事は多大な他人への干渉行為です。
 個の人権を尊重するならば、その家庭内での事情も尊重し、家庭内の問題はその家庭に任せ他人が干渉すべきでは有りません。家庭内で多大な問題が発生し己で解決できない時の為に、家庭裁判所などの施設が有る訳です。逆に、他人の家庭への干渉をしたいならば、他人による己への干渉も許す姿勢が無いと倫理は保たれません。
 昔は逆に他人による己への干渉を許し、他所の家庭問題には余り口を出さないと言う傾向の方が強く、いじめ根性払拭の観点で見ればこちらの方が正義でした。しかし、家庭内での暴力等により命をも失うほどの事件がニュースで取り上げられた事により、現代の思想が出来上がって来た訳ですが、それは、他人の家庭には口を出すが他人による己への干渉は許さない姿勢へと両極端化し過ぎている所に問題が有ると感じます。つまり、昔も今もバランスと言う観点では矛盾を持っていると言えます。そして、今は命の尊重と言う観点では無く、人権の尊重と言う観点で他人の事情に口を出します。しかし、自分が他人から干渉される事は人権侵害と言って極度に嫌うのです。確かに昔の風習では救える命も救えないなどの問題が有った為、昔の風習に戻す事が良い事だとは言えませんが、今では一切の迷惑行為、人権侵害行為を排除する「正義」が出来上がってしまっている為、それに反する事で有れば正義の名の元に魔女を作っても良いと言う風潮まで出来ている感が拭えません。しかし、そもそも極端すぎる人権の尊重やプライバシー保護と、そこから生まれた「迷惑」と言う観念が本当に「正義」なのでしょうか? 人権を尊重すると言う思想が本当に「正義」なのでしょうか?

 端的に言ってしまえば迷惑とは排他の精神です。
 身体的な苦痛や、睡眠妨害など、深刻な影響を受ける場合まで「迷惑」と言う言葉を捨てろとは言いません。
 しかし、今は余りにも、些細な事で「迷惑」と言う言葉が使われます。
 迷惑を掛ける奴は「悪」。そして、排除する。
 貴方が迷惑に感じる事の殆どは、本当に寛容出来ない事ですか?
 根拠の無い常識にとらわれていませんか?
 間違ったモラル感を持つからこそ精神的苦痛を感じているだけでは有りませんか?
 その思想によって虐げられた人の人権はどうなるのですか?

 そう、例えば電車内の携帯電話の使用などがそうですね。
 現代では信憑性の高い科学根拠として、携帯電話が心臓ペースメーカに影響与える可能性は障害物の無い状態で3cm程度だと分かっています。そして、総務省では20cm程度離す事が望ましいと言う指針が出ています。
 しかし、電車内で携帯電話を使うのはモラルに反すると言う気持ちが、無条件に車内での携帯電話使用に不快感を生み出し、心臓ペースメーカと無縁な人でもまるで自分が被害者だとさえ思ってしまう人も大勢いる様です。
 これなども、メディアによって生み出された間違ったモラル感から来る「迷惑」で有って、事実ベースで言えば、20cm以上人と離れて車内で電話する人が周囲の人から睨まれたり、批判される事の方がよっぽど迷惑なのです。
 また、タバコの副流煙による被害なども十分に検証されないままメディアでクローズアップされ、非常に非科学的な「科学的根拠」が出来上がってしまい、嫌煙者はそれを信じ込むが故、どんどん神経質になり、益々自らの心を傷つきやすくしています。
 タバコの是非は差し置き、これなども今一度、メディアの情報を頭から捨て、様々な角度から客観的に自分自身で検証していかないと、不必要な「排他」精神が生まれ危険なのです。
 繰り返し言いますが、今あなたが持っている「常識」「モラル」は嘘で塗り固められた全くの幻想だと言う事です。あなたが正義だと思っているものは実は悪だったり、悪だと思っているものが実は正義だったりする事が有り得るのです。

 また、簡単に言ってしまえば全ての事に「神経質」に「自分だけの人権」を主張し、そこに共通観念さえ出来てしまえばモラルと言う「正義」が出来上がり、例え自分が被害を被っている訳では無くても正義の名の元では他人の人権を侵害しても良いと言う思想が「いじめ根性」です。そして、正義の名の元に行われる団体制裁に発展し、容赦は有りません。
 そこに正当性が有るからと言う問題では無いのです。正当性自体、メディアによって作られた物で有る以上、信憑性は有りませんし、ましてや、正当性の理解が及ばない子供世界でも、その思想だけは立派に持っているのですから。

迷惑と感じるその姿勢、利己的な人権や迷惑を主張するその姿勢はいじめを正当化させる大きな要因なのです。
 迷惑と言う言葉を捨て、寛容な精神を育てない限り排他精神は払拭できず、やはりいじめは根絶出来ません。

 人間の根底にはもう一つ大きな問題として「差別意識」が有りますが、現代では間違ったモラルや不必要な常識から、より多くの不必要な「差別」をも生み出しています。

 ここでは、差別意識の根絶までは言及しませんが、少なくとも差別意識を可能な限り少なくしないといじめは根絶出来ませんし、それは上記のモラル・常識を見直すことで可能な事なのです。

6.最後に

 最後に、これだけは覚えておいて頂きたい事、それは
 「いじめは子供の問題では無く、大人こそがいじめ問題を抱えているのだ」
 と言う事です。
 メディアの中にある、または貴方の心の中にある「悪魔の囁き」の如く理不尽な「正義感」「モラル」に勝てるかどうかが問題の可否を決めるのです。
人は己の信念が正しいと信じ、人を巻き込もうとする性質が有ります。例えば私が今この記事を書いている行動もそうです。
しかし、これはコンセンサスを確立する為には避けて通れない事でありますので、間違った思想や人を陥れようとする悪意有る意見を簡単に受け入れる姿勢が有ると不幸しか生み出しません。(付記4参照)
私は出来る限り、思想と言うよりもまずは頭を白紙に戻して考えて欲しいと言う事を第一に述べて来たつもりです。
その上で、他人の思想誘導に簡単に乗らず、既存の思想や常識にも捉われない冷静かつ客観的な立場で議論が出来る様な世の中になって欲しいと切に願います。
そうすれば自ずと、いじめを発生させないモラル・教育が実現すると信じています。

付記1:現在の魔女裁判的な風潮が払拭されないまま裁判員制度が導入される事に多大な懸念を表明します。

付記2:ちなみに国家によるプロパガンダも実は往々にして有ります。例えば大麻がそうですね。これなどは実は裁判レベルで酒やタバコよりも遥かに健康的な事が認められています。しかし、国家の広報は未だ覚せい剤など凶悪なドラッグと同列で「麻薬」と言う一括りにして悪い事だと説明し、国民は事実を知る事も無く、素直に「悪」だと刷り込まれています。また、裁判での判例では、なぜタバコや酒よりも害が遥かに少ない大麻が違法なのかと言うと、酒やタバコは既に国民に蔓延して今更禁止出来ないが、大麻はそうでは無いと言う全く変な理屈で裁判官は国家側を支持しています。しかしあらゆる面で司法側の理論が破綻している為、今現在も裁判でその正当性が争われています。しかし、決してこの様な事実はメディアで報道されないし、国民に大々的に流れる事は無く、問答無用で「悪だ」しか公言されないと言う真実が有り、これも代表的な国家によるプロパガンダと言えるでしょう。

付記3:全体的に現代の常識・マナーを否定する文章になっていますが勘違いして頂きたく無いのはレイプの所でも申し上げた通り、既にそれが社会的な認識になっているのを承知の上でそれに反した事をすれば、それは相手が傷つく事を承知でしていると言う事ですので悪意が存在し、「悪」です。ですので現状の社会に適応しつつ、真理を追究し、少しずつでも道徳観念や人間の意識を改革していく事が大切だと考えます。

付記4:知恵袋で他にも多くあるのが創価学会関連の話題ですね。少々これを例に挙げてみます。私も個人的には創価学会の姿勢に疑問を感じていたり、または腹が立つ事や迷惑に感じる事などの経験を持ちます。だからと言って、それは私が気に入らない部分で有り、私が直接創価学会に抗議すれば済む話で、他人を巻き込んで徒党を組もうとは思いません。また、創価学会を陥れる目的も持っていませんので、純粋に宜しく無いと思える部分を改善して欲しいと思うだけで、それ以外の事に感知するつもりも毛頭有りません。また、創価学会に改善して貰うには、メディアに流れる偏見をぶつけても無意味です。何度も言うように、私にも正義は有りますが、創価学会にだって正義は有る訳で、それを調査・検証し認めた上で議論せねば、建設的な議論は望めません。現に筆者は過去にそれを実行し、その過程で創価学会の方々とは何人か知り合いになりましたが、それでもそれ以来は宗教勧誘・選挙依頼の電話など筆者が迷惑に感じる行為は一切有りません。しかし、この様な意見を私が述べると、知恵袋では「お前も創価学会員だろ」と言われるだけです。なぜ、創価学会を批判し、皆を巻き込んで社会の悪者にしたがるのでしょうか。その思想こそ、子供の世界のいじめと全く同じです。
子供も、気に入らない相手を見つけると、周りを巻き込んで世論誘導を試みるずるさは持っているのです。そして徒党を組んでいじめます。子供は大人の真似をしてるに過ぎません。
また、最近見かけた他の例ではこんなのもの有ります。有る人が奥さんの問題を相談する質問をしました。その書き方は一方的に奥さんを悪者にして自分と自分の親の正当性ばかり主張するのですが、その理由が現代の一般常識から見れば全く理解出来ない内容でした。
この質問には、物凄い数の(質問者の奥さんを支持する声と共に)批判と罵倒の回答が付きました。しかし、これなどもある種の徒党を組んだいじめだと感じました。質問者は確かに常識から外れ、偏見に満ちた価値観を持っていますが、だからと言って知恵袋の誰を傷つけた訳でも無く、その方のご家庭の問題を述べたに過ぎません。また、その方は批判の嵐を受ける度に自己弁護的な追加質問を書きましたが、それがまた批判の嵐を呼ぶ結果になりました。しかし、自己弁護なさると言うのは、批判に納得の行かない気持ちの表れで有り、質問者の価値観ではやはり奥さんは問題を抱えている訳で、しかも自己弁護している時点でこの質問者は表現能力が豊かでは無い事も推測出来ます。
誰もそのご家庭の問題を実際に見た訳では有りません。もしかすると、本当にその質問者の奥さんは意地が悪いのかも知れません。また、どんなに常識から見れば奥さんが可愛そうだとしても、個々の価値観は自由意志で有り、どの様な家庭が有ってどの様な家庭の価値観が有っても、否定してはいけない事です。既に述べた通り、我々が持っている常識もメディアによって刷込まれた物で、正しいとは言い切れません。ですので、本来は、客観的な視点でどちらに肩を持つでも無く、また、相手の家庭事情や価値観を尊重した上で意見を述べなければならないはずです。しかし、罵倒の嵐が既に物凄い数が有っても、やはり後から来た9割以上の方は容赦無く罵倒していました。質問者の思想に嫌悪感を持つ方が多かったのだとは思いますが、だからと言ってそれが許されるなら、子供の世界のいじめも許される事になってしまいます。

少なくとも質問者は、回答者に「悪意」を持っていませんが、回答者は質問者に「悪意」を持っているからです。もちろん、回答者の中には可愛そうな奥さんを救ってあげたい、質問者の「悪」を是正したいと言う使命感に捕らわれている方も多いかとは思いますが、そこには一方的な善悪の区別が前提に有り、感情が先立つ回答が多いと言うのが私が感じた見解です。これもいじめの本質的問題だと感じました。やはり共通観念や常識から外れる価値観を排除する「排他精神」は根強い物が有り、常識=正義、その対極は悪と言う構図が普通になってしまっている事を示しているのではないでしょうか。いじめ根性を払拭するのは簡単では無い事を物語っている事例でした。
 また実を申すと、この人類的な問題は日本だけの問題では有りません。世界各国で同じ問題を抱えています。アメリカなどはもしかすると日本よりも深刻かも知れません。アメリカは日本よりもプロパガンダが盛んな国です。イラク戦争の様に善悪二元論で利己的な戦争をする姿勢を国家が持っている国です。(と言うよりもアメリカ政府はもう少し高度で、武器製造会社と石油会社の役員で構成されているブッシュ政権は利益追求が真の目的で、意図的にプロパガンダで世論誘導したと見て間違いないと思います。)
 そしてアメリカは、国民がプロパガンダに乗せられやすい体質を持っている事をイラク戦争で露呈しました。つまりアメリカ人も同じいじめ問題を抱えていると言う事です。

2007.06.03 初版 Toshi 今回は日頃頭に有るテーマを書き殴っただけで思いの半分も書けませんでした。言葉が足りず説得力に欠ける面が多いかとは思いますが、お察し頂けます様、宜しくお願い致します。
2007.06.04〜 随時加筆修正中です。

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また筆者は理系人間の為、分かりやすい文章、説得力の有る文章を作文する能力に欠けています。筆者の真意を汲んで頂ける方によるアドバイス・ご指摘・加筆などのご協力も大歓迎致します。
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